オリンピック前年となり年明けから世界のレースが激しい勢いで動き始めました。ポイント獲得を狙う若手選手、そして戦略を熟知した有力選手とが1試合1試合に賭ける状況です。そのため、出場希望者が多く佐藤選手も上位選手の出場状況を待ちながら不安定な心境での練習でした。
石垣での惨敗から意識改革。直前合宿。最終的に1週間前に出場が決まり望みました。ワールドカップ出場最大数の77名でのレースとなりました。スイムでは、相変わらず混戦状態での展開となりました。佐藤選手はトップから約1分遅れの50番前後でスイムをフィニッシュ。縦列一列になる形で、バイクを飛び出していきました。
先頭がバイクフィニッシュして、25秒の間でそのままの大集団がトランジットエリアに入り、勝負はランへ入りました。佐藤選手は40番台でバイクをフィニッシュ。ややトランジットで遅れがありましたが、前をいく選手を一人また一人と交わし、28位(日本人1位)でのゴールとなりました。また、女子では、上田選手がメキシコ開催のワールドカップで4大会連続の表彰台を獲得いたしました。
<相澤義和>
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